
通園バスから降りた孫市は、さりげなく園庭に義元の姿を探した。通園バスではなく自家用車で送り迎えの義元は、いつも先に着いているからだ。
案の定、園庭の真ん中でぽんぽんとリフティングに勤しむ姿がバス乗り場の孫市からも確認出来た。孫市は黄色い通園バッグをピョコピョコ跳ねさせつつ、義元のところまで走って行った。
「まろちゃ〜ん、おはよ〜」
手を振りながら駆け寄ってくる孫市に気付いたのか、義元はサッカーボールを両手で受け止め、鷹揚な笑顔を向けた。
「おお、まごいちではないか」
「きょおもはやいなぁ」
おはよう、と挨拶をした義元はふと何かを思い出したらしい。
「ちょっとこっちへきやれ」
義元は孫市の手を取り、もみじ組の教室へとまっすぐ歩き出す。そしてどんどん教室の奥まで突き進み、『いまがわ よしもと』というシールの貼られた棚に入っている布の手提げ袋を義元は取り出した。
「けさの、まろはの、おたたさまからちょこれーとをいただいたのじゃ」
ほれ、と義元が開けた大きな箱にはぎっしりと、手の込んだチョコレートが詰まっていた。義元の母親はお菓子づくりが趣味だという事は孫市も知っており、おそらくこれは手作りなのだろうと思わせた。
「ほわ〜」
チョコレートの上に淡いピンクのバラが乗っかっていたり、銀色の粒が乗っていたり。
(うちのおかちゃんはこんなんよぉつくらんわ)
そう思いつつも母の名誉のため、孫市は無邪気な感嘆の声だけで留めておく。そんな孫市の内心など思いもつかぬ義元は、サッカーボールのアップリケがくっついた手提げ袋をごそごそしている。
そして袋の中から出て来た義元の手には、可愛らしい水色のリボンがかかった銀色の箱。
「おたたさまはの、まごいちにもこれをわたしてたも、とおおせじゃ」
ほれ、とそれを差し出され。
「まろちゃん…」
孫市は朝からチョコレートの数だけど勝負しようとしていた自分がちょっと情けなくなった。義元はいつもと変わらぬ笑顔で孫市にチョコレートをくれるというのに。
「どうしたのだ、いらぬのか?」
「…ううん」
いつもと様子の違う孫市に心配そうな顔を向ける義元に、孫市はふるふると首を振って銀色の箱を押し頂いた。
「おばちゃんにありがとぉいわんなんなぁ」
孫市は貰った箱を抱きしめ、ぎゅっと目をつぶった。瞼で微笑む義元の母は、やっぱり息子にそっくりな笑顔を浮かべていた。
***
結局、孫市が貰ったチョコレートは義元の母からのひとつだけだった。それでも通園バッグにはちょっと入らないからと、斎藤先生が紙袋をくれることになった。一旦先生がチョコレートを預かり、通園バスから降りる時に渡してくれる事になっている。
そしてバス乗り場でぴょんぴょんとタラップを降りた孫市を、斎藤先生が呼び止める。
「孫市くん? …これ、忘れてるわ」
そしてチョコ一個が入っているにしては大きなシャネルの紙袋が目の前に差し出された。上品なデザインの紙袋は、口がぴったりとセロテープでとめられており中を見る事は出来ない。
「結構重いから気をつけるのよ」
そう云いながら先生が差し出した紙袋を受け取った孫市は、予想外の重さに驚いた。
「なんで〜?」
「お家に帰って開けてみれば判るわ。…じゃあね、また明日」
ふ、と笑ってそれだけを言い残し、先生は扉を閉めてしまった。
「せんせぇさよ〜なら〜」
去りゆく通園バスに手を振って、お迎えのいない孫市はひとりで歩き出した。大きな紙袋を何度も降ろして休憩しながら家へと向かう。
いつもの倍以上時間をかけてやっと家までたどり着いた孫市は、首から下げた鍵を開けて家に入る。紙袋の中身が気になりつつもきちんと施錠して靴を脱ぎ、通園バッグから弁当箱を出して洗う。ぷちぷちと洗濯物も取り込んで、ようやく任務終了の孫市は炬燵に向かう。
弁当箱を洗う前に電源を入れておいた炬燵はもう暖まっており、お気に入りの座椅子の脇まで紙袋を引きずって来た孫市はよいしょ、と炬燵に潜り込んだ。
ほんのりとみんなの足の臭いが混ざった炬燵の中は、孫市が大好きな場所だ。身体が温もってからじっくりと紙袋の中身を検分してやろう。そう思いつつ、孫市はいつの間にか眠りに落ちていた。
孫市が念願かなって紙袋の中身を検分できたのは、帰宅した阿国に起こされてからのことだった。
斎藤先生まで出て来ちゃいました。斎藤先生は幼稚園児相手でもフェロモン系。