「なあ、彼女。今暇かい?」
聞き慣れない声が背中からかかった。ヴィットーリアが振り返ると、そこにはどこか幼い笑顔の少年が立っていた。腰にはまだ奇麗な剣を下げていて、少年が冒険者、しかもまだ駆け出しである事を思わせた。
「ううん。人を待ってるの」
こういう時には用心深すぎるほど用心深いヴィットーリアが珍しく返事をしたのも、少年のその駆け出しらしい雰囲気のせいだったのだろうか。少し頬を赤らめた一生懸命な表情もヴィットーリアを安心させるものだった。
「じゃあ待ってる間、話でもしないか」
「いいわよ。ちょっと退屈してたしね」
白いティーカップを皿に戻し、ヴィットーリアはにこりと笑う。少年はいそいそと向かいの椅子に座り、自己紹介を始めた。
「俺はミーカール。冒険者をしてるんだ。あんたみたいな可愛い女の子を待たせるなんて、とんでもない奴だな」
店員にルーマティーを頼み、ミーカールは身を乗り出すようにして話しかけてくる。一生懸命な様子が何だか可愛らしくて、ヴィットーリアは口元に持っていったエイジティーのカップを一旦止めた。
「ふふ、私が早く着きすぎただけよ」
「悪い奴に捕まったらどうするんだよ」
「大丈夫よ。自分の身は自分で守れるわ」
そこまで云うと、お茶を一口だけ飲んでカップに戻す。そんな仕草をどう見たか、ミーカールは少し笑ってヴィットーリアの不見識を指摘しようとした。
「そうは云っても、最近若い娘を捕まえて売り飛ばしてる大がかりな組織があるって聞いたぜ」
それは聞き捨てならない噂だ。ヴィットーリアの目の色が変わる。
「…それ、詳しく教えてくれない?」
自分の話題に興味を示されたことが嬉しいのか、ミーカールはまるで自分で見てきたかのように得々と話し始めた。
***
「…ふぅん、面白そうね。ちょっと探してみようかな」
一通り話を聞き終えて、ヴィットーリアは腕を組んだ。その姿だけ見れば、駆け出しの冒険者の少年少女が手に余りそうな依頼を検討しているように見えるだろう。慎重派の少年と、実力も顧みず困難な依頼を受けようとしている少女。その見かけ通り、ミーカールは慌てて、楽しそうに考え事を始めた少女を止めようとした。
「おいおい、やめといた方がいいんじゃないか? そりゃ、あんたも冒険者みたいだけどさ。そんなにまだ強そうにも見えないから」
「それがそうでもないんだぜ?」
頭上から降ってきた思わぬ所からのつっこみに、ミーカールは声の主を振り仰いだ。視線の先には、だらしなく胸をはだけた大男が立っている。にやりと笑って、ミーカールの両肩に手をかけてきた。
「な、何だよテメェ」
精一杯の虚勢で男に対応しようとしたミーカール少年の、その肩をぽんぽんと叩きつつ男は耳元に顔を寄せてきた。ばらばらと無精髭の生えたその顔が近づいてくると、ぷんと酒の臭いがする。その口からは、もの凄い重大事を語るときのような重々しい小声が酒精の臭いとともに吐き出された。
「人は見かけによらないって云うだろ? こいつはその典型みたいなモンだ」
云いながら、ミーカールの肩越しに少女を指さす。どう見ても機嫌の良い酔っぱらいにしか見えない男をそのままほったらかしにして、ミーカールは向かいに座って面白そうに見ている少女に尋ねた。
「なあ、こいつ妙に馴れ馴れしいけどよ、あんたの知り合いか?」
「ええ。うちの夫」
ミーカールは動きを止めた。目の前の少女をじっくりと眺め、その言葉を吟味してから背後を振り返る。遠くであはは、と堪えきれずに笑い出したのはここの店員だった。
「…夫? あんたが? このオッサンの?」
「残念ながら売約済みでね。悪いな」
目がぐるぐるしているミーカールの目の前で、ふたりは暢気にキスしたりしている。そのごくごく自然な動作からしても、夫婦だというのは嘘ではないようだった。小柄な少女にとってはかなり高い位置にある太い首に手を回したまま、ヴィットーリアはミーカールに婉然と微笑んでみせる。
「悪いけど諦めてね。どうしても、って云うなら私を倒してからどうぞ」
どうも彼女は根本的な誤解をしているらしい。彼が興味があるのは腰に細身の剣を二本下げた可愛らしい少女の方であって、決してその少女が腕を絡めている、全体的にだらしなくどう見てもスケベっぽい男ではない。
「いや、俺は別にこのオッサンはどうでもいいんだ」
「そうなの? じゃあいいんだけど」
何だかあまり誤解は解けていないような気がする。ミーカールは何だか頭が痛くなってきた。
「もういいかい? じゃ、行くか」
「行くかって、どこへ?」
「ゼグナ鉱山。ちょっとリッチ退治にね」
「リッチィ?」
リッチといえば上級者御用達モンスターである。というより、上級者でなければとても太刀打ちできないシロモノで、ミーカールのような駆け出し冒険者にとっては死神同然、名前を聞くのも恐ろしいくらいだ。
そのリッチを「ちょっと」で済ませるこのふたり、一体何者なんだろうか。
「ついでに飢えた者の迷宮にも寄ってみるわ。情報ありがとう」
「情報?」
「若い娘を誘拐してる連中がいるんじゃないかって」
さっきミーカールが話した内容を、ヴィットーリアはかいつまんで説明する。ふんふんと話を聞いていた男は、話が終わったとたんに大袈裟に両手を開いて大きく息を吐いて見せた。
「ふーん。ま、リーダー様のお気に召すまま気の向くまま」
「じゃあね。今度会ったら一緒に食事でもしましょ。奢るから」
バイバイ、と手を振って消えたふたりをぼんやりと見送って、ミーカールは力無く呟いた。
「…サギだよな、あんな可愛い子が…」
***
「退屈しのぎに若いのをからかって遊んでたのかい?」
食堂の外に出て、城門に向かって歩き出してすぐにゼネテスが尋ねた。ヴィットーリアはそのニヤニヤした顔が不本意だったのか、口を少し尖らせて反論する。
「からかってないわよ、話し相手になってくれるって云うからお話ししてただけ」
「そういうのをからかってるって云うんだろ?」
「…そうかもね。でも、いいでしょたまには」
少年から発せられている『あわよくば仲良くなりたい』というオーラを勿論ヴィットーリアも感じていた。それなのに、応じる気が全くないのに話だけはしていた事は、確かにからかっている事になるのかも知れない。そう思ったヴィットーリアは一応夫の意見を認めたが、普段からそうやって誰彼なく男と話しているとは思われたくなかった。
勿論ゼネテスはそんなことはよくわかっていて、その上で開き直るような物言いをする妻をからかっているのだが、ヴィットーリアはそれを知らない。
「そういえば、お前さん歳の近い男とあんまり話す機会無いなぁ」
冒険者になるまでは厳しい父の監視の目が光り、冒険者になってからはゼネテスと居ると変な男は寄ってこないのは勿論、普通の男も怖がって寄ってこない。冒険者として有名になってからは尚更で、ある意味箱入りに近い状態ではある。
「うん。でもね、ちょっと怖いからいいの」
「怖い?」
ゼネテスの脳裏に、先ほどの人の良さそうな少年の顔が思い浮かぶ。怖い、という形容の全く似合わないその顔は、ゼネテスの首を傾げさせた。
「何て云うかね、その、ギラギラしてるって云うか」
どうもこの若奥様は性的な興味の対象として見られることが怖いらしい。いかにも少女らしい、けれど夫のある身とはあまり思えない発言にゼネテスは苦笑を禁じ得ない。自慢するのも変な話だが、はっきり言ってそういう視線には自信がある。
「…俺もそういう意味では例外なくギラギラしてると思うんだがな」
「ゼネさんはいいの。いい人も親切な人もいるってわかってるんだけど…」
さりげなく理論の届かぬ所へ話を持っていく所など、女の典型的な話法だとゼネテスは思う。だが、お前の視線も気持ち悪いなどと云われるよりは遙かにいい。それに目の届かぬ所でどこかの馬の骨と仲良く話をされるより、このくらい敬遠していてくれた方が有り難い。
「ま、他の男と比べられて愛想尽かしされるよりはいいけどな」
そんなことないもん、という可愛い言葉と頬へのキスを貰ったゼネテスは、『もし浮気をしたら、どのくらい可愛い姿が見られるのだろうか』とか何とか高い空を見上げながら不埒なことを考えた。だが、当然それを口にするほど剣狼は馬鹿でもお人好しでもない。何考えてるのと覗き込んできた愛妻の額にキスのお返しをすると、不埒な考えはまた今度と放り出す。
ゼグナ鉱山の用事を済ませたら、久々にロストールの我が家に帰ってゆっくりするか。家に帰ったらあーんなことや、こーんなことを…等々やはり不埒な方向に思考は進んでいく。
そんな事とは知らないヴィットーリアは、『今度はロストールでちょっとゆっくりしたいね』と同じように気持ちよく晴れた高い空を見上げて云った。
***
駆け出し冒険者のミーカール君が『竜殺しのヴィットーリア』と『剣狼ゼネテス』の事を知るのは、この時持っていた手紙をロストールのギルドに届けた時であった。
ED後です。相棒やってます。ついでに結婚もしてます。でもヴィットーリアはまだ10代ですし、童顔なので充分少女です。
ふたりの家はロストールのスラムにあります。貴族街のは別宅(笑)でかい別宅だ。
女扱いされないEDの脳内補完を試みてみましたが、いまひとつだ。