す、と構えたと思ったらすぐに発射音がした。

ばんっ

 翼を打ち抜かれた鴨は二羽、それぞれがくるくると回りながら落ちてきた。すぐに落下地点に向かって歩き始めた背中を、慶次は大股で追いかけた。
「いやぁ、やっぱり凄いねぇ」
「このくらいの事、雑賀だったら子供にでも出来るさ」
 孫市は事も無げにそう云った。それでも、構えたとほぼ同時に引き金を引くその速さは、とても常人には真似できないのではないかと慶次は思う。名人と呼ばれる射手の多い弓でもそこまでの速射は難しい。その上火縄銃はあらかじめ火蓋を切っておく必要があるから、ただ引き金を引きさえすれば弾丸が出る、というものでもない。
 初めて目の当たりにした(慶次が見たことのあるのは乱戦で銃剣を振り回している孫市の姿ばかりである)孫市の射撃技術に慶次は少なからず驚かされたのだが、落ちて暴れている鴨を拾い上げ、手早く縄で縛っている孫市は淡々としたものだった。
「幾つから練習するんだい?」
 思わぬ質問に、孫市は改めて慶次を見た。

 孫市が見る限り、慶次は飛び道具にあまり感心がなさそうだった。それはそうだろう、第一矢をその槍で叩き落としてしまえば怖いものはない。慶次と松風が揃えばあっという間に弓兵の所まで辿り着いてしまう。弓兵は第二矢を番える暇もなく松風に踏み殺され、皆朱槍の錆になる。おそらく本人の弓の腕も大したものではあるのだろうが、少なくとも孫市はその姿を見たことはない。
その慶次が、意外にも銃に興味を持っているらしい。自分の獲物に関心を持たれて悪い気はしないのか、孫市は少しだけ照れたように笑った。
「ちゃんと教わるのは十を過ぎてからなんだ。でないとまだしっかり構えられないだろ? 結構重いしな」
 ほれ、と縄にぶら下がった鴨三羽が目の前に突き出された。慶次は大人しくそれを受け取って肩に担ぐ。ふたりは再び今夜のねぐらである小屋に向かって歩き出した。
「でももっと小さいうちに殆どの子供が鳥ぐらいは撃ち落とせるようになるけどな」
「あんたは幾つから始めた?」
「多分三つ四つぐらいじゃないか。とにかく物心ついた頃には銃で遊んでた」
「そんな子供がどうやって撃つ」
「台を膝に乗せて、銃を抱きかかえるような格好で撃つのさ。反動は後ろにひっくり返ってしまえば何とかなるしな」
 少し練習すれば誰でも撃てる、というのが鉄砲の良さだ。だが『撃てる』から『百発百中』までの間には長い時間と鍛錬が待っているのはどんな武器でも同じ。『百発百中』の域に達しているからこそ、鉄砲集団はその技術を高く売りつけられるのだ。
松風の待つ小屋に戻りつつそんなことを得々と話している孫市に、後ろを付いて歩いている慶次は相槌を打つばかりであった。

「ふーん。…なあ、孫市」
「うん?」
 振り向いた孫市は、新しいおもちゃを見つけた子供のようなきらきらした眼をそこに認めた。
「俺にも教えちゃくれないか」
 本当に子供みたいな奴だと思いながら、孫市は慶次の意向に添う回答をした。
「…いいぜ」


 さっき鴨を撃った辺りまで戻ると、孫市は自分の銃とは違う銃を出してきた。見るからに大量生産品のそれを慶次に渡した孫市は、不満そうな視線を頬の辺りに感じた。視線を辿ると、大きな目がじっと孫市を見ている。
「あんたのがいい」
「馬鹿、最初から俺のなんか貸せるか。壊されたら困る」

 孫市の銃は、孫市に合わせて作られている。孫市自身が鉄砲鍛冶に通い詰め、口出ししまくって作られた特注品だから、細かい象眼や蒔絵が全体に施されており美術品のような美しさだ。当然材質も良い物が使われているようだが、門外漢の慶次にはその違いはわからない。
 孫市はこの銃をそれはそれは大事にしており、他人に貸すなどもってのほか、触られたら穢れるとすら思っている節がある。勿論慶次が触ろうとすれば、銃剣が飛んでくる。これは例え話ではなく実際に一度飛んできた。怪我こそしなかったが、それは相手が慶次だったからであって常人であれば地面に手のひらごと縫い止められていたであろうことは想像に難くない。毎日の丹念な手入れは勿論、眠るときにまで抱いて眠るという程の慈しみようである。
 それが少しく慶次には腹立たしいのだが、「松風だって俺には指一本触れさせてくれないじゃないか」と云われると反論のしようがない。
 俺は別に良いんだ、でも松風が嫌がるんだから仕方ないだろう。そう云っても孫市が納得してくれるはずもなく、孫市は毎晩銃と添い寝をしているのだった。

「ちぇ」
 あからさまに肩を落として慶次が俯くと、孫市は溜息を吐いて譲歩した。
「…ちゃんと撃てるようになったら貸してやるよ」
 結局の所、孫市は慶次に弱いのだ。特に大きい形をしてしょげかえっている姿には滅法弱い。実はわざと大げさに萎れてみせているのではないかと最近孫市は疑っている。
「本当だな?」
 がばりと顔を上げた慶次の顔は満面に笑みを湛えている。このように『今泣いたカラスが』状態になると特に疑わしくなる。けれど慶次を見ている限りでは、そんな使い分けをわざわざしているようにも見えないのだ。
「男に二言はない」
「そうか、楽しみだねぇ」
「云っとくが、下手糞には貸さないからな」
 幾ら慶次に弱いと云ってもこれだけは譲る気はないと、孫市はにこにこと嬉しそうな慶次に釘を刺す。だが慶次は一向に気にする風でもない。ぽん、と手にした銃を叩いてにやりと笑う。
「任せとけって。あんたが教えてくれるんだろ?」
 そう云われると、当たらなかったら俺の所為みたいじゃないか。孫市はそう思ったが、口に出すと「当たり前だ」とでも云われそうだったのであえて口にはしなかった。
「…まあな」


 孫市は一度慶次の手から銃を取り上げて、手早く弾を込める。火皿に火薬を入れ、火縄に点火する。そこまで準備してから、改めて慶次に声をかけた。
「じゃ、まず片膝立ちになってくれ」
「あんたみたいに立ったままじゃ駄目なのかい?」
「俺が教えにくい。教わる気があるなら云うことを聞け」
 孫市も今まで何度も射撃を教えてきたが、こんなに大きな生徒を教えるのは初めてだ。子供相手なら後ろから抱くようにして姿勢をつくってやれるが、ここまで大きいとこっちがちゃんとした姿勢を取れない。少なくとも手元を覗き込めるような高さになってもらわないと教えるのも難しい。
「何だか格好悪いねぇ」
「最初だけだ、我慢しろ。適当で良いから構えてみな」
 孫市は慶次の背後に回り、前方を見た。少し右寄りにだが、柿の木に丁度熟れすぎた柿がひとつぶら下がっていた。
「的はあれだ。撃っていいぜ」
 慶次はためらわず引き金を引いた。だが、当然柿はぶら下がったままだった。
「当たらねぇ」
「そりゃそうだ」
 最初から簡単に当たられちゃあ商売あがったりだと、孫市は楽しそうに笑う。次は絶対当てさせてやるよ。笑いながらそう云って、もう一度弾丸を込め直す。
「まず、反動を押さえ込もうとするのはよせ。あんたほどの力なら出来るかもしれないが、余程しっかり押さえ込めないと当たらなくなるぞ。ほら、力抜いて」
 広い背中にぴたりとついて、子供に教えるときと同じように手を回して慶次の手に重ねる。だがやはりいつもと勝手が違う。慶次が邪魔で前が見えないのだ。孫市は慶次から一旦離れ、姿勢を確かめる。軽く手で調整しながらぐるりと一周すると、とんとんと指先で元目当を叩いた。
「これが元目当。この穴の丁度真ん中に、先目当てがすっぽり入るように狙いをつける」
「その向こうに柿があればいいわけか」
「そう、全部が一直線になるような感じだな。左手は固定するんじゃなくて支えるくらいの気持ちでいい。それと、一番大事なのは引き金の引き方だ」
 再び背中から抱きつくようにして用心金に指を入れ、慶次の指ごと引き金に指をかける。
「引くときは一定の速度だ。急に引くと狙いがはずれる。力入れるなよ」
 そして孫市がゆっくり引き金を引くと、柿が弾け飛んだ。慶次が振り返ると、孫市は腕組みをして自信たっぷりに笑っている。
「どうだい? 当たっただろ」
 まだ白く漂っている煙の中で、余程銃を撃つのが好きなのだと思わせるような、本当に楽しくて仕方がない、といった顔をしている。 慶次は銃を降ろすと、いつも孫市がするように肩に担ぐ。孫市は懐から早合を取り出し、慶次に手渡して云った。
「今度は弾丸を込めるところからひとりでやってみろよ。狙うならもうちょっと大きい的の方がいいな」
 いつになく機嫌の良さそうな孫市に、慶次はちょっと嫌味を言ってみたくなる。銃を構えて孫市に向け、その眉間に照準を合わせつつ口を開いた。
「それは俺が下手糞だからかい?」
 大抵の人間ならば驚いて逃げるような行動にも、孫市は落ち着いたものだ。もし引き金を引いたとしても弾丸が出ないことを知っているせいもあるが、狙いをつける真剣な表情の中に悪戯な光が宿っていることもきちんと見抜いていることの方が大きい。
「いいや。小さい的でなかなか当たらないより、大きい的で全部当たった方が楽しいだろ?」
 孫市は正面から大きな眼を見返して、危ないからそういうことはするなよ、と笑って銃身に手をかけた。常になく素直な笑顔を向けられ、どうやら悪戯坊主を窘めるような気分になっているらしいと慶次は思う。
「まあな。で、手頃な的はどれだい?」
「そうだな、じゃあ俺の眉間でも狙ってみるかい?」
 孫市の軽口に、さく杖で弾丸を突いていた慶次は、顔を上げてにんまりと笑ってみせた。
「あんたを撃つんなら、こんな鉄砲なんて無粋なもんじゃない方がいいねぇ」
 また始まったよ、と孫市はうんざりした顔で転がしてあった鴨を拾った。
「ひとりで適当にやりな、早合はそこにある。手を抜いたら暴発するぞ」
 さっさと踵を返し、小屋へと入ろうとする孫市の背中に大声がかかった。
「なんだい、あんたが教えてくれるんじゃなかったのか」
「晩飯作るんだよ。飯抜きでいいなら俺はかまわないぜ」
「…確かに飯抜きは困るなぁ」
 そもそも腹が減ったと慶次が騒ぎ出したから、孫市が食材調達のために銃を持ち出したのを思い出したらしい。ついでに空腹も思い出したらしい慶次であった。
「鴨汁、喰いたいだろ?」
「喰いたい」
「じゃあ大人しくひとりで練習しな。その早合がなくなるまで撃ったら、今日は終わりだ」
「あんたの銃は」
「明日今日の練習の成果を見て考えるよ。触らして欲しけりゃ真面目にやれよ」
 それだけ云って小屋の中へ消えた孫市を見送って、慶次は溜息をついた。どうやらあの銃には触らせては貰えないらしい。少なくとも今夜は。

「ま、仕方ないから持ち主でも触らせて貰うかね」
 孫市が聞いたら間違いなく逃走を図るであろう物騒な台詞を吐いて、慶次は手近な木の幹に狙いをつけた。







おねだり慶次。神業は孫なのか慶次なのか…。最後だけちょいと慶孫っぽい?
これだけ延々と説明しておいて、これが正しい撃ち方かどうかは知りません(^_^;)ライフルも撃ったことないし。
慶次かわいいv と思ってる管理人が乗り移ってます<孫